人を育てる本の力

 『書店主フィクリーのものがたり』は、読者の本質を教えてくれる一冊です。
刊行されると、すぐニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに登場し、全米の図書館員からベストブックに選ばれ、日本でも2016年の本屋大賞翻訳小説部門を受賞しました。
 舞台は、デジタル化に伴い、書店が次々と姿を消す現代社会です。ハヤカワepi文庫の帯には、「偏屈な書店主×孤島の愉快な住人」と記されています。

 偏屈な書店主フィクリーは、名門プリンストン大学の大学院でエドガー・アラン・ポーを研究していた学究です。同じ大学で知り合った妻と、「本屋のない町は町じゃない」と語り合い、博士号の取得をやめて、妻の故郷の島に小さな本屋を開業する道を選びます。無書店の町に、志を持って独立書店を開いたわけです。

 ところが、不幸な事故で身ごもっていた妻は亡くなってしまいます。傷心の日々を送るうち、書店に幼い女の子が捨てられる事件が起き、そこから物語が展開します。

 全編を通じて、本の持つ特別な力が描かれます。本によって育てられたのは、店にある絵本を毎日読み、小説を書く高校生になった捨て子のマヤだけではありません。本とは縁遠かった警察署長が本好きになり、署長特選読書会は、島の住人の人気イベントになります。
 しかし、幸せをつかみかけたフィクリーを再び悲劇が襲います。
 ぼくたちはひとりぼっちでないことを知るために読むんだ。ぼくたちはひとりぼっちだから読むんだ。ぼくたちは読む、そしてぼくたちはひとりぼっちではない。

 物語の終盤、自らの運命を知ったフィクリーのつぶやきは、読む者の胸を刺します。
 主人公の死後、島の人々が抱いたのは、島に一軒だけの本屋はどうなるのかという疑問でした。思いがけない人物が本屋を引き継ぐ決意をして、物語は結末を迎えます。
 「本屋のない町なんて、町にあらずだぜ」という署長のせりふが、この小説のもう一つのメッセージです。

 本は人を育て、人をつなぎ、人と世界を結びます。
 『書店主フィクリーのものがたり』は、章ごとの扉に、フィクリーがマヤに薦める小説として、フィッツジェラルド、サリンジャー、ポーらの名品の題名が掲げられ、フィクリーのコメントが付されて、それも読み進む楽しみになっています。
 折しも、国内では経済産業省が書店振興プロジェクトに取り組んでいます。
 どの町にも本屋がある社会を取り戻し、それとともに、好きな本を親しい人に贈るギフトブックの習慣が広がることを祈っています。

公益財団法人文字・活字文化推進機構理事
読売新聞グループ本社代表取締役社長
山口寿一

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